浅舞公園には「忠義な猫」の功績を称える「忠猫」の碑が建立されています。
明治の中頃、大地主であった伊勢多右衛門が一匹の雌ネコを飼っていました。
伊勢家の庭園(後の浅舞公園)は野ネズミや蛇にひどく荒らされ樹木や花などに被害が及び、また野ネズミは村内各所の米蔵にある大切な米も食い荒らしていました。すると、飼っていた猫が米蔵を回ってはネズミを捕り、庭園の野ネズミや蛇も10年ほどかけて絶滅させました。
多右衛門は自分の意を体して働く猫に感動しました。その姿は、神仏が乗り移って人々を守ろうとする「命の番人」に見えました。生涯、子供を産まず、聖女のようだったといいます。
こうして庭園や村民の命をつなぐ米が守られました。